月刊中国ニュース 2017年3月5日(日) 15時50分
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国際市場でハイエンド無人航空機(無人機)の製品は決して多くない。偵察と攻撃能力を併せ持った無人機は、中国の彩虹-3と彩虹-4のみとなっている。写真は彩虹-5無人機。
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「自分で航空機をつくるためにエンジニアになる」 1986年に北京で開催されたある国防展示会で、石文は初めてイスラエルのスカウト(Scout)無人機を目にした。当時わずか17歳の石文は、多くの中国の航空宇宙マニアと同様にこの種の無人機に対して深い知識は持っていなかった。彼が覚えているのはスカウトの上部に設置された電子カメラが、通り過ぎる人たちの写真を撮っていたことぐらいであった。
「航空マニアだけで終わりたくなかった」。現在、気動研究院の彩虹シリーズ無人機のチーフエンジニアを務める石文はこう振り返る。
イスラエルの無人機は1982年のレバノン・ベッカー高原での航空戦で大きな成果を上げた。スカウトやマスティフ(Mastiff)といった無人機を使い、シリア軍の防空システムに対して偵察や電子作戦などの任務を遂行。その後の空爆における圧倒的勝利の基盤を作った。この戦争によって無人機システムの独特の能力と発展潜在力が基本的に示され、各国の軍事関係者は無人機に対する研究開発と軍事実用化を重視するようになった。
石文によると、ハイエンド無人機の誕生からこれまでの80年余りの発展の歴史は3段階に分かれる。第1段階は1950年から60年代のターゲットドローン(無人標的機)の開発時期であり、主に高性能ジェット機やミサイルの武器装備鑑定などのための標的として用いられた。第2段階は無人偵察機としてベトナム戦争に投入、使用された時期で、良好な戦果が得られた。第3段階は1980年代もしくは90年代から始まる。無人機システムは次第に現代の戦争で広範囲に使用され、機能はさらに複雑化かつ完全化していった。
さらに今世紀初めには、メカトロニクスや自動コントロール技術の発展に伴い、小型無人機を中心に、地質調査や地形測量、環境モニタリング、中継通信、ケーブル監視、農業林業への応用など民用分野に用いられた。
中国は1960年代にソビエトと軍事分野での協力を中断した。これによりソビエトからターゲットドローンLA-17の導入ができなくなり、中国は独自開発の道を歩むことになる。そして1969年にLA-17をベースにして長空1号を開発し、初飛行に成功。1976年に形式認定された。長空1号の性能はLA-17と比べて大きく改善。偵察機能を備え、地面を滑走して離陸することが可能となった。しかし同号はLA-17と同様に着陸装置がなく、胴体着陸を採用したため、機体の損傷が避けられなかった。
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