在日華僑華人の「ゼロ」を突破―関 藤清 日中芸術交流協会会長

Record China    2019年6月19日(水) 17時20分

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日本で華僑華人によって立ち上げられた中日文化芸術交流団体は決して珍しくない。中でも、関藤清氏が会長を務める日中芸術交流協会は、設立から日の浅い生まれたての団体である。

常に次へと考えを巡らせる関藤清会長がそこで立ち止まることはなかった。彼はすぐに新たな認識に至った。

「理想は大きく描いても、現実はシビアです。曲をリリースすると言えば聞こえは良いです。制作時にいくらかいただきますが、リリース後はいくら儲かろうが関係ありません。音楽を生業にするということは、食べていけないことが不断にあるということです。理想を高く掲げることはできても、空腹ではいられません。文化の道とは一体どう歩むべきものなのかということを考えさせられました」。

その後の数年間に彼はいくつかの職業を体験し、経験を積み資金を蓄え、オンラインマーケティング等のスキルも身に付けた。さらに、国内の多くの人気アーティストのアルバムのデザインやパッケージも手掛けた。

留まることを知らない彼は、ある偶然によってジュエリー業界と出逢い、彼の経験と特長はこの業界で次第に実を結ぶ。数年のうちに、彼のオリジナリティー溢れる商品はヒットし、運営会社は急速に大きく発展した。デザイン会社、レコード会社、ジュエリー会社と多くの業界に身を投じ、様々なスキルを身に付け、絶えず交流と融合を続ける中で業種を深く広く開拓していった。そこに、早く自身の新天地を切り開きたいとの彼の内なる追求を感じた。


▼日本「爆観光」の末に

ある程度の蓄えを得、実業家の仲間入りをした関藤清会長は、それまで心の中で理想を束ねていたロープを静かに断ち切った。そして、ついに2013年、彼は「爆買い」ならぬ「爆観光」のために、一年のうちに四度来日した。

さらに、その後の数年間は「体験型観光」、「テーマ型観光」で日本を訪れている。彼は当時の自身を「クレイジートラベラー」と表現する。彼は日本の寺院や神社が大変好きで、そこに中国の古代の文化的要素が浸透していることを常に感じ、古代から今日に至るまでの両国の文化の交流、対立、融合を比較し思いを巡らせた。

同時に、常に日本各地の美術館を訪れ、一人ひとりの日本の芸術家の個展やグループ展は彼の心を揺さぶった。そして、それらの旅の過程で、ひとつの文化の道筋が彼の頭の中で次第に明瞭になっていったのである。

日本の寺院や神社には中国の古代文化の痕跡が多く残っているが、今日、日本の美術館では中国人芸術家の展示はほとんど行われていない。中国文化は古代から現代へと継承されているのに、日本ではなぜ断絶してしまったのか。この疑問は日本での旅が長くなるほどに膨らんでいった。

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