<コラム>命からがら韓国に亡命した北の若者の今

木口 政樹    2018年11月28日(水) 20時50分

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2017年の11月に、板門店のJSAにジープで乗り込んで脱北したオ・チョンソン氏のことは記憶に新しいかと思う。このオ・チョンソン氏のインタビュー記事が朝鮮日報に出ていた。記事を参考にしながら筆者のことばでお届けしたい。写真は板門店。

JSAをジープで乗り込んできたあの日は、別の部隊で勤務する友人に会って嬉しくて酒を飲み、飲んでいるうちにトラブルが起きて韓国に来たのだそうだ。こっち来る時は酒がほとんど覚めた状態だった。その友人の車に乗って来たらしい。

北で殺人をしてこっちに逃げてきたのではないのかという報道もあったのだが、これもそうではないとはっきりと否定し、すでに韓国の国情院(国家情報院の略で日本の公安警察に相当)での調査でシロであることが証明されているとした。

韓国に来ていい点は何かとの問いに、「自由だからいい。行きたいところに行き、やりたいことができる。それが一番いい」とオ氏は答える。ここの部分を見たとき、筆者の心の琴線がびりびりとふるえた。

筆者も含めわれわれ日本人や韓国人は、毎日自由を謳歌しているわけだけれど、自由のありがたさなど、これっぽっちも感じていないのではないだろうか。行きたいところに行き、買いたいものを買う。あまりにも当たり前のことだ。でもこれって、実はそんなに当たり前のことではないのだということをオ氏の言葉を聞いてあらためて感じさせられるのだ。

子どもは学校になんか行きたくないといい、会社員は会社になんか行きたくないという。学校で勉強できるありがたさとか会社で仕事のできるうれしさというものなど、普段、感じているだろうか(自分も含めて)。

どこへ行っても誰からも注意されることもないし、罰せられることもない。そういう「自由」のありがたみをもっと切実に感じるところから再出発しないといけないんじゃないのかとしみじみと思わされた次第だ。

オ氏は周辺の人々から、韓国の人気タレント「ヒョン·ビン」に似ていると言われているそうで、「ヒョン·ビン」がどんな風貌なのかネットで調べてみたのだが、本人いわく、「全く似ていなかった」。

しかし、インタビュー記事に横顔がぼかしで出ているのだが、それを見る限りでは、はっきりした顔つきはわからないけれど、かなり美男子であることは間違いない。ヒョン·ビンと全然似てないというのは、謙遜の気持ちもかなり含んでいる発言かと筆者は感じた。

これから韓国の地で自立して行くことになる。25歳という若さを存分に発揮して、意味ある人生を送ってほしいところだ。

銃創はかなりよくなったけれど、天気の悪い日には痛むという。特に腰が本調子ではないみたいだ。長く立っていたり重いものを持ちあげたりするのはきついという。

しかし若さがあるじゃないか。全ての困難を乗り越えることのできる若さがある。オ・チョンソン君には、天が与えてくれた「自由」の生を生きていってほしい。それが統一につながるものであれば、花を添えるものとなるだろうけど、そういう雑音は言うまい。ただあるがままの自由なる生を、是非、生きていってほしいと願うばかりだ。

■筆者プロフィール:木口 政樹

イザベラ・バードが理想郷と呼んだ山形県・米沢市出身。1988年渡韓し慶州の女性と結婚。元三星(サムスン)人力開発院日本語科教授、元白石大学校教授。趣味はサッカーボールのリフティング、クラシックギター、山歩きなど。著書に『おしょうしな韓国』、『アンニョンお隣さん』など。まぐまぐ大賞2016でコラム部門4位に選ばれた。

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