<日本で大成功した中国人>日本の不動産屋で感じた屈辱、日本の居酒屋で得たヒント

Record China    2017年6月11日(日) 18時10分

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「成功はコピーできる」。これは、日本で12店舗の中華居酒屋と1店の蕎麦居酒屋を経営し、年商14億円を誇る郭聯輝の言葉である。創業を夢見る在日華人たちが、この言葉に励まされ「阿里城」グループに加盟している。

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2000年11月、郭聯輝ははじめての「いつかきっと」をかなえた。友人が貸し出した小さな店を借りて妻に経営させたのである。しかし彼は毎日外でアルバイトをしていた。「開いていなければ店ではない」と言うが、この小さい店はオープンしてすぐに閑古鳥が鳴くようになった。しかし、月末になると妻はにこにこして郭聯輝に「利益が出たわ」と帳簿を見せた。彼はその帳簿を見るとすぐに偽物だと気づいた。妻は彼が後悔しているのではないかと心配し、偽物の帳簿を作って見せたのだ。彼は妻を責めなかっただけでなく、ますますアルバイトに精を出すようになった。毎日4時間しか寝ずに、稼いだ金で妻の店の赤字を補填し、コックを雇った。

惨憺たる経営が1年半続いた後、郭聯輝は突然、店の経営を簡単に考え過ぎていたと気づいた。四角いテーブルを並べただけでは客数も限られるし、店も狭すぎて大規模な宴会もできない。毎日数人の個人客に頼っていてはとても経営が立ち行かないのである。

彼は同じ商店街に場所もよく、面積も広い店舗が貸し出されているのを見つけた。彼の店のコックはここに引っ越してくれば店の経営もよくなると言う。彼は、いつかきっとこの店を借りよう、と答えた。

■紙袋の中の800万円

はじめて不動産屋に店を借りることを相談しに行った時のことである。事務所内には椅子が2脚しかなかった。不動産業者は郭聯輝に椅子にかけるよう言ったが、その時、銀行員が二人入ってきたので、椅子を銀行員に譲らせてこう言った。「帰ってくれ。用があればまた来なさい」。

次に不動産屋に行った時、郭聯輝が用件を話したところ、「中国人が店を借りる金を持っているのか」と言われて店を追い出された。

三度目に不動産屋を訪ねて店を借りたいと話すと、再び郭聯輝が中国人だと言いがかりをつけ、「あんたみたいな中国人を信用できるか」と言うので、彼は猛然と店を飛び出した。

何度も不動産屋から言葉の暴力を受けた郭聯輝は、心の中で屈辱をかみしめ、もう絶対にあの不動産屋には行かないと自分に言い聞かせた。しかしいつも彼に付き添い、不動産屋の前で彼を待っていたコックは、彼が不動産屋から出てくるのを見るたび、結果はどうだったのか熱心に聞いてきた。今回、郭聯輝はコックが口を開く前に、「もう不動産屋には頼まない。いつかきっと、不動産屋を頼みに来させてやる」と告げた。

半年後、店を借りたいという客が現れなかった不動産屋はいてもたってもいられず、本当に郭聯輝のところに店の賃貸借について相談しに来たのである。

店を借りる話は進んだが、資金の問題があった。郭聯輝は「自分はどんな屈辱でも甘んじて受けるが、金を貸してくれとはどうしても言えなかった」と述懐する。

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