Record China 2014年11月22日(土) 16時45分
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20日、俳優の高倉健さんが今月10日に死去していたことがこのほど明らかになり、日本の社会に激震が走った。中国でも悲嘆の声であふれている。
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2014年11月20日、俳優の高倉健さんが今月10日に死去していたことがこのほど明らかになり、日本の社会に激震が走った。中国でも悲嘆の声であふれている。環球時報が伝えた。
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中国では1979年に「君よ憤怒の河を渉れ」が公開され、爆発的な大ヒットとなり、主演の高倉さんも一躍大スターとなった。高倉さんは、同年代の人々の記憶に深く刻まれ、特別な思い出を残してくれた。
日本で高倉さんの代表作と言えば「幸福の黄色いハンカチ」(1977)だが、中国では「君よ憤怒の河を渉れ」だ。日本で76年に公開された同映画は、78年に中国語に翻訳され、翌79年に公開された。同映画で高倉さんは、暗殺されそうになる東京地検検事・杜丘冬人を演じ、その寡黙で男らしい姿が、改革開放(78年)を実施したばかりの中国の人々の心を鷲掴みにした。そして中国は、高倉さんや同映画を通して、日本や現代化された社会を知った。
当時、中国の人々の「君よ憤怒の河を渉れ」に対する理解や想像は、同映画の本来の意義をはるかに超えていた。当時、「日本」と「現代化」を重ね、多くの人が同映画を通して、日本のスタイルが中国に与える意義を考えていた。
当時の日本の映画は、改革後間もない中国にとって、現代化社会の窓口のような存在で、多くの人が感動を覚えた。巨匠、チャン・イーモウ(張芸謀)監督も当時、日本の映画の影響を大きく受けた人の一人だ。チャン・イーモウ監督にとって、日本の映画は忘れられない記憶の一部となっている。21世紀に入り、高倉さんの影響を大きく受けて映画界に入ったチャン・イーモウ監督は、自分の作品に主演として高倉さんを招待。日中合作映画「単騎、千里を走る(中国語題:千里走単騎)」 (2005年)が製作された。高倉さんは高齢にもかかわらず、ずば抜けた演技力を見せ、シンプルなストーリーであるものの見る人に大きな感動を与えた。チャン・イーモウ監督は同映画で、自分の夢をかなえただけでなく、故郷に対する思いを表現し、1970年代の人々の感情を思い起こさせた。既に多くの成果を上げ「巨匠」と呼ばれるようになったチャン・イーモウ監督だが、今は改革開放後間もない頃とは大きく異なり、その時代に戻ることはできない。
70年代、80年代は、ここ120年で、日中関係が最もよかった時代だろう。日中の政治家が、両国の関係を改善するために尽力していた。1985年、中曽根康弘当時総理大臣が、中国の人々が靖国神社参拝に対して反感を抱いていることを知り、参拝を中止したことを、中国の人々は覚えている。中曽根総理大臣の行動と決断は、最近の日本の政治家とは大きな差がある。
今の中国において、高倉さんらほどの影響力や集客力を誇る日本人はほとんどいない。高倉さんの死は、ひとつの時代の終わりを告げているのかもしれない。そのことを考えると、何かさびしい気持ちにさせられる。ここ数年、日中関係は悪化の一途をたどっている。今の中国と日本は、それぞれ新たな時代に突入している。高倉さんは、日本のスターとして、中国でも大きな支持を得た。女優の中野良子さんや栗原小巻さんらは、自分の仕事に打ち込み、その責任感で、日中両国の国民の心をつないだ。高倉さんの世代は、日中両国に貴重な財産を残してくれた。これこそが、民間の力、文化の力だ。
現在、中国は周辺の国にも注意を向けるようになっている。中国は、アジア諸国と共に新たな歴史を作ることを決意している。それにより、アジアの人々やアジアの文化が融合され、歴史的変化を迎えるだろう。そして、新たなアジア文化が生み出されるだろう。この巨大な渦の中で、高倉さんの継承者が出現することが願われる。(提供/人民網日本語版・翻訳/KN・編集/武藤)
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