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海外在住中国人向けの華字メディアの文学城は、日本在住の「一人っ子世代」の中国人女性が親の介護問題で、本国で暮らすよりさらに厳しい事態に追い込まれた状況を紹介する記事を発表した。
中国では、産児制限の極めて厳しかったいわゆる「一人っ子世代」の一部が現在に至り、年老いた親の世話をせねばならなくなったことが、一つの社会問題になっている。兄弟姉妹がいないために、親の介護などの負担が極めて大きいからだ。海外在住中国人向けの華字メディアである文学城は、日本在住の38歳の中国人女性が、さらに厳しい事態に追い込まれた状況を紹介する記事を発表した。
38歳女性の方さんは北京市出身で、中国で大学を卒業してから日本に留学し、修士号を取得してから日本の商社に就職した。以来、10年以上にわたり、貿易業務に従事してきた。経済面でも充実し、大阪圏に面積100平方メートルのマンションを、一括払いで購入した。
方さんの記憶に残る父親は、身長180センチ以上で、歩き方も颯爽(さっそう)としていた。技術者として仕事をしていたが、定年退職から10年もたたないうちに、大病を患った。今から5年ほど前のことだ。方さんの父親は後遺症で半身不随になり、母親の介護に全面的に頼るようになった。方さんは仕事の関係もありしばしば実家に帰っていたが、方さんが帰国するたびに、家の空気は異様に重く、母は明らかにやつれていた。方さんは父を日本に呼び寄せることを考え始めた。
方さんは日本でも永住権を取得していたが、日本政府が永住者の親族の来日に対して認めているのは、短期の親族訪問ビザや観光ビザのみで、たいていは最長でも90日間しか滞在できない。方さんは自らの滞在資格を「高度専門職ビザ」に切り替えることを決意した。「高度専門職ビザ」の保持者は、結婚や出産後、さらに介護の必要があることを前提として、親を家族として日本に長期滞在させることができ、日本の各種福祉制度の恩恵を受けることもできるからだ。
一方で、方さんが両親を日本に呼び寄せることを考え始めた時期は、方さん自身の人生においても大きな転機だった。2020年に日本在住の中国人男性と結婚し、翌21年には出産したからだ。方さんは当初、「日本で自分の家庭を築くことで、両親を日本に呼ぶこともよりスムーズになる」と思った。
方さんは妊娠6カ月の時のことをよく覚えている。日本の夏で最も暑い時期だったが、大きなお腹を抱えながら、資料を調べたり両親のビザ書類を翻訳したりすることを続けた。さらには3カ月間の日本の行政書士の講座を受講し、申請書類をより適切に準備するための勉強もした。
方さんは出産を終えると、生まれたばかりの子を育てながら、両親のビザ申請の準備も同時に進めた。「すべてを気力で乗り越えました」という。方さんは23年末に、ようやく父を日本に迎えることができた。「父が車椅子で到着ゲートを出てきた瞬間、人生で一番苦しかった関門をようやく越えたと感じました」という。
一難去ってまた一難だった。こんどは方さんと夫の間に「亀裂」が生じた。中国人は親族内での「人と人の距離」が極めて近い。同居していればなおさらだ。しかし方さんの夫は日本での滞在期間が長く、中国国内の親族や友人と連絡を取ることも極めて少なく、個人の距離感を重んじる生活に慣れていた。そんなこともあり、まずは同居することになった方さんの両親との関係がぎくしゃくし始めた。些細なことで衝突が起こるようになった。例えば、方さんの母が「日本の料理は口に合わない」と軽い調子で愚痴を言っただけで方さんの夫が極めて不機嫌になり、激烈な口論になって方さんの母が泣き出してしまったこともあった。
しかし、方さんが夫を厳しく批判しているわけではない。方さんは「夫には6人の兄弟姉妹がいて、両親は兄や姉の家を順番に渡り歩いているため、彼には親を養う負担がまったくありません」「彼は親不孝というわけではないが、一人っ子の抱える重圧を理解していないのです」と説明した。
方さんは、家庭内の関係を保つため、介護施設を探し始めた。父が日本語を話せないことを考慮し、中国人コミュニティーで評価されている、中国語対応の職員がいる施設をいくつか選んだ。条件が極めてよい施設もあったが、費用が最低でも1カ月で40万円もしたので断念した。方さんは最終的に、デイサービスと軽度介護付きの施設を選んだ。料金も比較的手頃で、毎週家族が自宅に連れ帰ることもできる施設だった。
施設には中国語のできる職員がいなかった。利用している他の日本人高齢者は職員と会話ができるし、他の入居者同士でもおしゃべりができる。しかし方さんの父は、まるで孤島に一人で取り残されたような状態になってしまう。そこで方さんは中国語を話せる付き添いスタッフを個人として手配し、母と交代で滞在させたりしたが、思うような成果は得られなかった。
方さんの父は「(このような状態では)生きていても意味がない。元の家の方がよかった」と言い出したが、北京に戻ることは現実的ではない。方さんの母一人では介護が無理だし、中国では介護士を雇うことも簡単ではないからだ。日本で生活する方さんとしては、父を呼び寄せることが「自分としてできる限界」だった。
方さんは結局、夫と相談して自宅近くに両親用のアパートを一室借りることにし、父の介護がしやすくなるよう工夫した。しかしわずか3カ月が過ぎた頃には、方さんはすでに言葉にしがたい疲労を感じるようになった。
方さんは毎朝、子どもを保育園に送ってから出勤し、帰宅後は父の介護計画を立てたり、母と食事や生活リズムについて話し合ったり、時には夫と「家族会議」を開いて次の分担を相談する。そんな日が続き、自分が夫、子ども、両親の間で要望や感情をやり取りする「中継地点」になっているように感じることもある。
方さんはつらくなると、「本当に両親を日本に連れてきてよかったのか」と自問することもある。しかし、ほとんど同時に「これは子としての責任だ。自分がやらなければ、きっと後悔する」と、その考えを強引に打ち消す。
方さんにとって、日本で父の世話をすることは、もはや単なる「倫理上」の問題ではなく、家庭のさまざまなことや感情の面で、自分を引き裂くような負担だ。方さんがそれでも頑張っている理由には、「もし(父親の)世話がちゃんとできなかったら、子どもは将来、私をどう見るだろうか」と考えてしまうからだ。
費用が最大の問題ではない。むしろ、時間や気力、家庭内の関係をどう調整していくかという方が、はるかに大きな課題だ。そしてそれらは、数字では測れず、他人にもなかなか理解してもらえない。
方さんは「はざまの中で親孝行を尽くすことが、私たちの世代の宿命だと思います。娘には将来、負うべき責任しかないのではなく、選択肢があるような人生を送ってほしいです」と述べた。(翻訳・編集/如月隼人)
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