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四川博物院を訪れた見学者の1人が展示されていた銅鏡に表記されていた年代が南北朝時代というのは誤りで、実際は前漢時代のものだと指摘しました。
中国西部の四川省成都市で先日、四川博物院を訪れた見学者の1人が展示されていた銅鏡に表記されていた年代が南北朝時代(420~589年)というのは誤りで、実際は前漢時代(紀元前202~8年)のものだと指摘しました。博物院側がすぐに確認したところ、指摘の通りで、すぐに表記を訂正しました。この件がネット上に拡散され、多くの注目を集めました。理由の一つに、表記ミスを発見したのがわずか15歳の少年で、成都市在住の中学校3年生だということが挙げられます。
少年は徐偉哲という名前で、幼い頃から長年にわたって骨董品を収集しており、特に銅器について関心が深く、かなり詳しいことが分かりました。
徐さんによると、その銅鏡は四川博物院の南北朝館の展示室にあり、「昭明鏡」と表記されていましたが、専門的に言うなら「前漢連弧紋昭明鏡」と表記すべきです。徐さんは、これは漢代の非常に典型的な銅鏡なのに、なぜ南北朝館に置かれたのかと不思議に思い、「南北朝は動乱の時代で、銅は粗雑で精緻ではなく、鉛や錫が多く含まれているはずだ。しかしこの銅鏡の色合いには潤いがあり、漢代のものではないか」と判断しました。
また、漢代の銅鏡がなぜ南北朝に分類されたのかについて、徐さんは「畳圧墓」の可能性があるという理由を挙げました。つまり、ある地域では家族墓地として、異なる年代の墓が幾重にも重なっており、南北朝の墓は漢代の墓の上に建てられ、一部の副葬品が混じり合ってしまったのではないかということです。しかし、関連する資料を調べた後、徐さんはこの可能性を排除しました。「この銅鏡の革の殻は非常につるつるして滑らかに見えるため、よく人の手に取られて愛玩されていたという気がする。だから、漢代から南北朝の時代に伝わる『家宝』として、持ち主の副葬品にされた可能性が高い」と徐さんは分析しました。
徐さんは子どもの頃から文物や博物館に関する知識にとても関心があり、これまでに全国100以上の博物館を訪れました。「他の人は旅行のついでに旅先の博物館を見学するかも知れないが、私は博物館を目当てに旅行に出かけている」と徐さんは微笑みながら言い、骨董品を集めていることについては、「私は基本的に両親からお金をもらうのではなく、主に合法的なルートやネット上での交流、転売などを通じて、少しずつ集めている」と紹介しました。また、徐さんはコレクションの一部を民間の博物館に寄贈したこともあります。「貴重なものではないが、昔の人々の生活とその時代の特徴を反映するものとして、歴史と文化的な価値があれば」と徐さんは爽やかに言いました。(提供/CRI)
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