三国時代の呉の重臣・張昭の墓、南京で見つかる

CRI online    2024年11月6日(水) 13時50分

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三国時代の呉の重臣・張昭の墓が南京で見つかりました。

江蘇省南京市でこのほど、三国時代の呉(東呉とも)の重臣だった張昭(156~236年)の墓が見つかりました。張昭は中国の古典小説「三国演義」で、孫策が弟の孫権に「内事決せずんば張昭に問え、外事決せずんば周瑜に問え」と遺言したことで知られる人物です。

張昭の墓の位置は南部新城油庫公園です。南京市考古研究院の職員が2022年の探査で墓576基と6カ所の灰穴(当時のゴミ置き場)を発見しました。うち早期に盗掘されたM171墓の主が二つの金印により特定されました。金印の銘文はそれぞれ「輔呉将軍章」と「婁侯之印」です。「三国志・呉・張昭伝」には、東呉大帝となった孫権が張昭を「輔呉将軍」に任じ、「婁侯」に封じたと記されています。

張昭は字(あざな)を子布といい、呉の彭城の人です。漢末の大乱に孫策に仕え、長史や撫軍中郎将の官職に任じられました。孫策は死に際し、孫権を全力で補佐するよう張昭に託しました。孫権が出征するたびに、張昭は後方を鎮守しました。張昭は剛直な性格で、孫権に直言して戒めたため、孫権は張昭を敬うとともに恐れたと伝わっています。張昭は236年に81歳で死去しました。

考古学者は、張昭の墓の近くで他に同時期のれんが造りの墓7基を発見しました。これらは張昭の家族の墓で、張昭の墓を中心に西から東に向かって分布しています。南京市文化財保護当局は今後、張昭の家族の墓とそれに付属する排水設備について、墓の完全性と歴史的価値を確保するため、見つかった場所で保護するとのことです。(提供/CRI

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