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「お前の曽おじいさんは日本人だよ」=父の言葉にまさかと思った―中国人学生

日本僑報社    2024年7月5日(金) 12時0分

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そのことを知った私は、ショックで一睡もできなかった。曽おじいさんは戦争によって言葉や文化の交流がうまくいかず、中国での生活も困窮して、間接的に他郷で客死することになった。

「お前の曽おじいさんは日本人だよ。このこと知っていたの?」と父は大学入学式で私に言った。私は本当に驚いた。大学の専攻として日本語を選んだのは、英語は得意なので、別の言葉を勉強して将来の就職競争力をつけたいと思ったからだった。まさか日本出身の祖先がいるとは思わなかった。

それを知った後、曽おじいさんについて父に尋ねた。更に話をすると、次のようなことが分かった。曽おじいさんは日中戦争の中後期に「開拓団」の農夫として中国に来た。ある時日本の軍隊が別の場所に移動して、農夫たちもそれに伴って移住することになった。しかし、その途中で曽おじいさんは本隊からはぐれてしまい、あてもなくある村にたどり着いた。見知らぬ土地に行き、言葉も通じなかったので、村人から迷子扱いされた。村に定住して、その後、曽祖母と結婚したそうだ。

私は父に曽おじいさんの名前を尋ねた。残念ながら、あの時は日本語がわかる人はいなかったので、曽おじいさんの出身や詳細な情報ははっきりしていないという。日本の本名すらわからないのだ。ただ、若くして中国に来たものの、日本に帰ることができず、異国の地に葬られた日本人だということだけが分かった。

そのことを知った私は、ショックで一睡もできなかった。曽おじいさんは戦争によって言葉や文化の交流がうまくいかず、中国での生活も困窮して、間接的に他郷で客死することになった。曽おじいさんは亡くなる直前に遺言を残していなかった。しかし、私が夜を徹して考えた彼の最後の願いは、日中間に戦争が起こらないでほしいということだったと思う。彼は戦争によって、さすらい、身をおちつける所がなかった。今後、誰かが客死するようなことが起こらないことを願っていたと私は信じたい。

日中間の文化交流を強化し、両国がお互いを十分に理解することは戦争を阻止する効果的な方法だと思う。日中平和友好条約が締結された後で、条約の意義は民間交流の面で特に際立っている。例えば、戦時中に中国に残された多くの日本人や孤児が、条約の締結後、船に乗って日本に帰って家族に再会することができるようになった。これまでに100万人ぐらいの日本人の帰還に成功した。こうした大規模な日中民間交流が成功した背景には、日本語を学び、なおかつ日本語に精通している中国人学生や日本語通訳者の存在がある。

ただ残念なことに、曽おじいさんの身近にはそうした人がいなかったのだ。だから、私は中日両国の文化背景を理解し、日本人の血統を引く中国人として両国間の文化交流のために自分の力を発揮するべきだ。そこで、その夜考えた末、私は「就職競争のために日本語を勉強する」という目標を、「日中友好関係と平和発展に貢献するために日本語を勉強する」という目標に変えることにした。

実際に大学に入ってから、自分の力を高めるために中日文化交流会などに参加するようになった。交流を通して、条約の今日的な意味を実感した。新型コロナの感染症拡大の中でも、両国の大学生たちの文化交流は中断しなかった。インターネットなどの先進技術の発展の中で、人との交流はますます容易になった。オンライン会議などを通じて、お互いの文化を伝え、参会者たちはお互いに友好的で睦まじい関係を築いた。日本側の学生たちと私たちは両国の文化の異同点を交流し、会議の終わりには、日本の教授が私たちに余すところなく知識を教えてくれた。素晴らしい体験だった。

その後、先人たちがこの条約を結んだ意義を理解した。先人たちは、日中両国の子孫が二度と戦争の惨禍を経験せず、いかなる偏見も持たない前提で、楽しくコミュニケーションして、共に発展することを願っているのだ。日中が「友好条約」の下で手を携えて共に前進し、明るい未来に向かって歩み出すことを願っているのだ。同時に、曽祖父を弔うためにも、私は両国の交流を促進するために自分の力を尽くしたいと思う。

■原題:先人たちに学ぼう――日中平和友好条約の今日的な意味

■執筆者:劉明碩(厦門大学嘉庚学院)

※本文は、第19回中国人の日本語作文コンクール受賞作品集「囲碁の智恵を日中交流に生かそう」(段躍中編、日本僑報社、2023年)より転載・編集したものです。文中の表現は基本的に原文のまま記載しています。なお、作文は日本僑報社の許可を得て掲載しています。

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