顔真卿、円熟の69歳時の楷書「西亭記」残碑に注目―中国

CRI online    2024年6月29日(土) 20時10分

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浙江大学芸術考古博物館所蔵の貴重な文化財である唐代の顔真卿の「西亭記」残碑が紹介され、広く注目を集めました。

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中国中央広播電視総台(チャイナ・メディア・グループ/CMG)報道ニューメディアセンターのクライアント向けアプリはこのほど、中国国内の博物館と共同で発表する文化財知識普及コンテンツの『文博カレンダー』で、浙江大学芸術考古博物館所蔵の貴重な文化財である唐代の顔真卿(709~785年)の「西亭記」残碑を紹介し、広く注目を集めました。

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顔真卿は政治家であり、唐代(618~907年)を代表する書家の一人です。顔真卿の書は柳公権の書と並んで「顔筋柳骨」と称されています。「顔筋柳骨」とは顔真卿と柳公権の書のこつや骨組みなど筆法の重要な部分を表現する言葉で、その影響は1000年を経た今も衰えていません。顔真卿は、現在の浙江省湖州市一帯の地方長官である湖州刺史をつとめていた唐大暦十二年(777年)に、配下の李清が西亭の修繕を申請した際に、文章をしたためた上で、自ら朱を用いて石に書く書丹もしました。これが「梁呉興太守柳文暢西亭記」です。この石碑は早い時期に倒れて苕渓という川に落ち、近年になりようやく発見されました。石碑の下半分以上は斜めに割れて喪失しており、上半分だけが比較的完全に残っています。石碑の上端は半円形です。

顔真卿の「西亭記」

この石碑は本来、270センチ以上の高さがあったと見られています。材質は石灰岩質で、周囲には彫刻が施されています。判読可能な残存文字は266字で、背面の上部には「柳文暢西亭記」の文字が浅く刻まれ、下部にある文字は深く彫り込まれていて、対比を感じられます。一方で石碑の表面は摩滅が激しく、文字の刻みがやや浅くなった状態です。この石碑は顔真卿が赴任先の湖州で残した作品の中で現存する唯一の石碑であり、江南地方に残っている唯一の石碑でもあります。

この残碑が見つかるまで、「西亭記」は『顔魯公文集』でしか確認できませんでした。石碑の発見は、書道の研究にとって重要な意義があるだけでなく、記文の当初の姿を理解するためにも有意義です。

顔真卿の「西亭記」

顔真卿の最高傑作とされる「祭姪文稿」は、中国の長い書の歴史の中でも王羲之(303~361年)の残した「蘭亭序」に次ぐ「天下第二行書」と称えられています。「祭姪文稿」は顔真卿の親族である顔杲卿親子が安禄山の乱の際に、身を挺して反乱軍に断固として抵抗して亡くなったことを悼む弔文で、「父は陥り子は死す。巣は傾き卵は覆(くつがえ)る」と記しており、父子がともども命を失い家が崩壊してしまったことを悲痛に思う複雑な心境が行間からも読み取れます。全文は顔真卿の重厚な楷書を基調に、楷書、行書、草書など様々な書体が交互に使われ、墨の濃淡の変化に富み、書いてから塗りつぶした文字もあり、書写の際の感情の起伏や変化の様子も見てとれます。

「西亭記」残碑

顔真卿が湖州で「柳文暢西亭記」を書いた時は69歳になっており、書風も完全に円熟段階に至っていたとされています。(提供/CRI

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