南京大虐殺、東京裁判…中国博物館と靖国神社・遊就館の解説を比較―中国紙

Record China    2014年8月29日(金) 6時50分

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27日、南方日報は記事「日中戦史記念館で演じられた“声なき弁論”」を掲載した。中国の博物館と靖国神社境内の遊就館の展示説明を比較している。写真は中国人民抗日戦争記念館。

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2014年8月27日、南方日報は記事「日中戦史記念館で演じられた“声なき弁論”」を掲載した。中国の博物館と靖国神社境内の遊就館の展示説明を比較している。

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まず南京大虐殺について。

侵華日軍は1937年12月から1938年1月までの6週間、南京で罪のない民を虐殺した。その手段は残忍そのものだった。戦後、極東国際軍事裁判及び中国の審判戦犯軍事法廷は南京大虐殺専門法廷を開設している。審判戦犯軍事法廷は集団的虐殺事件28件により19万人が死亡、個別の虐殺事件858件により15万人超が死亡したと認定した。(南京大虐殺記念館)

1937年12月、南京を包囲した松井司令官は旗下の部隊に、外国人が権益を持つ地域、難民居住区を赤字で注記した略図を渡した。軍紀をただし違法行為を起こさないよう命令している。敗退した中国軍を下関で壊滅させたが、南京市内では一般市民の生活は平和を取り戻した。(遊就館)

続いて東京裁判について。

1946年1月19日、GHQ総司令官のマッカーサーは特別公告を発表。中国、米国英国ロシアなど11カ国の裁判官、検察官によって構成される極東国際軍事裁判を設立することを発表した。この東京裁判は2年余りにわたって続けられ、判決書は計1231ページに達した。歴史上最大の裁判と言えよう。(中国人民抗日戦争記念館)

「東京裁判は戦勝国による敗戦国に対する一方的な裁判であり、日本は自らの正当な権利を主張することはできなかった。」「東京裁判は勝者による敗者への報復であり、違法な裁判だった。」(遊就館)

(翻訳・編集/KT)

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