「愛の花」バラは、いかにして中国から世界に広まったのか―専門家が紹介

中国新聞社    2023年5月28日(日) 23時20分

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バラというと西洋風の花と思わないだろうか。しかしバラの原産地は中国とその周囲であり、現在、世界で流通しているバラの土台になったのは、中国で1000年ほど前に作り出された品種だ。

「バラの花が咲き誇っている場所」と言えば、西洋式の庭園を思い浮かべがちではないだろうか。「男性がひざまづいてバラの花束を差し出して女性に求愛」といえば、洋画の1シーンを思い浮かべるかもしれない。しかしバラの原種とされる植物は中国の雲南省を中心にチベットやミャンマーにかけて自生していた植物だ。また、現在までに世界各地でさまざまなバラの品種が登場したが、その土台になったのは中国で改良された品種だった。バラはいかにして中国から世界に広まったのか。江蘇省農業農村庁研究員で、2016年には米国で「世界で最も偉大なバラ大師」の称号を受けた王国良博士はこのほど、中国メディアの中国新聞社の取材に応じて、中国と世界におけるバラの改良史や文化史を説明した。以下は王博士の言葉に若干の説明内容を追加するなどで再構成したものだ。

世界で愛されるバラのルーツは中国品種の「月季」

現在の鑑賞用のバラの多くは、中国で作られた「月季」という品種が土台になっている。月季は中国で、北宋の時代(960-1127年)には、広く栽培されていた。

西洋では、「現代の月季」としての最初の品種は、1867年に登場したフランスの「ラフランス」という品種とされてきた。「ラフランス」の主な特徴は、花びらが長く広いこと、葉が広く厚いこと、四季折々に花を咲かせ、花が紅茶のような甘い香りがすることだった。しかし実際には、「ラフランス」のような現代の月季は、「春水緑波」や「金甌泛緑」のような、中国で宋代には栽培されていた月季系の品種と同じだ。

ヨーロッパ人は中国の古い月季と地元のバラを交雑して、月季のヨーロッパ現地化に成功した。今、世界各地の花屋で人気の「バラ」は、この月季系の品種だ。


私は2005年、ある国際学術シンポジウムで中国における月季の進化の6段階論を提出した。「太古の化石期」、「品種導入期」、「宮廷栽培期」、「月季の発現期」、「南北流行期」、「世界拡散期」だ。第4期に該当する魏晋(220-420年)の時期の中国の庭師は四川、雲南の深い山に分け入って、自生していた複数の品種を利用して優秀な品種を登場させた。その品種は四季折々に花を咲かせるので月季と呼ばれるようになった。残念ながら、昔の人がどのように奇抜な発想で月季を作り出したのか、今となっては知る由もない。

ヨーロッパでも何千年も前からバラが植えられた。一重バラを八重バラにするなどの品種改良もあった。しかし、当時のヨーロッパでは園芸が最も発達していた英国でも、観賞用植物の種類はわずか1000種余りだった。そして、牡丹や月季など中国原産の珍しい花が多くのヨーロッパ人の東洋への夢を掻き立てた。18世紀前後には、宣教師や植物収集家によって数え切れないほど多くの中国の月季がヨーロッパに持ち込まれた。最初のころにヨーロッパに伝来した月季系品種はヨーロッパで越冬するのが困難だったので、ヨーロッパ人は月季と現地のバラを交雑して改良した。

月季の形成過程において、土台となった代表的な月季は「月月粉」、「赤竜含珠」などの「中国の四大老品種」だ。それらには2つの重要な特徴がある。四季を通じての開花と、ヨーロッパ人が「紅茶の香り」と呼ぶ花の香りだ。

長い歴史を通じて、バラにさまざまな意味が込められた

西洋のバラ文化の歴史も長い。バラが愛と結びついた最初の時期は、古代ローマ期ではないかと思う。当時、古代ローマ人は愛する人を「心のバラ」と呼んでいた。イタリアの画家ボッティチェリが1487年に描いた「ビーナスの誕生」にはバラの花がある。そのためバラは「ビーナス誕生の花」とも呼ばれるようになり、愛と美のシンボルになった。

バラには「愛」以外にも、いくつもの意味がある。昔のヨーロッパでは、勝った兵士の頭にバラの花輪をつける習慣があった。この場合のバラは勝利を意味した。15-16世紀ごろの「聖母子」の一連の絵画の中には、バラや百合を背景にあしらった作品がいくつもある。この場合のバラは神聖さを象徴した。ナポレオンがルクセンブルクの国立小学校にバラを贈ったことで、バラは友情のしるしになった。第二次世界大戦が終わったとき、世界の人々は反ファシズムと平和の願いを込めて、フランス原産の黄色いバラに「ピース」と名付けた。

中国のバラ文化も多彩だ。各地で出土した約7000年から6000年前に作られた五弁模様の彩陶壺の祭器は、バラがトーテムだったことを物語っている。バラは広く分布しているため、多くの太古の先住民が共通の信仰対象にした。そのため、最近ではバラを「華夏の花」と呼ぶ学者もいる。

バラは文学作品にも登場した。蘇軾(1036-1101年)は「月季」と題した詩で、「この花だけは咲くことをいとわない。1年の長きにわたって春夏秋冬ともに春」とうたっている。当時の人は月季に「長い楽しみ」「長い春」「長寿」などの寓意を与えていた。

なお、中国ではバラが「愛」や「ロマン」に結びつけられることはなかった。バラと愛情を結び付けるのは近代以降に中国に伝わったものだ。


バラは睦まじく共生することを象徴する花

現在、市場で流通しているのはすべて改良された現代の月季で、ほとんどの人は中国の古い月季を見たことすらない。そのため、歴史上の月季は現代の月季には及ばないという誤解が広まった。

実際には、古くからある月季もとても美しい花を咲かせている。しかも長期にわたり交雑を繰り返して生まれた新品種よりも耐病性が強く、育てやすい。枝や葉は旺盛に茂る。われわれは、雲南省の水目寺で見つけた明代(1368-1644年)から植わっている月季を、祥雲粉紅香水月季と名付けた。直径30センチ以上の大輪の花を咲かせる株もある。別の古い株は高さが20メートルを超え、直径10センチ余りが咲き乱れていた。まるで、天界の街の家々の灯火のような、衝撃的な光景だった。

中国と西洋のそれぞれの文化で、月季に与えた意味合いは異なるが、美のシンボルである点は同様だ。月季は人と人の麗しい感情と、その感情が長く続くことを望む気持ちを象徴する。まさに美しさを感じる心を共有することで、人と人が睦まじく共生することを象徴する花なのだ。(構成/如月隼人

※記事中の中国をはじめとする海外メディアの報道部分、およびネットユーザーの投稿部分は、各現地メディアあるいは投稿者個人の見解であり、RecordChinaの立場を代表するものではありません。

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