Record China 2014年2月7日(金) 21時20分
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1月20日に中国・石家荘市中級人民法院はいわゆる「中国毒ギョーザ事件」の容疑者・呂月庭に無期懲役を言い渡した。だがこれで解決なのだろうか?写真は中国の冷凍食品工場。
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2014年1月20日に中国・石家荘市中級人民法院はいわゆる「中国毒ギョーザ事件」の容疑者・呂月庭(リュー・ユエティン)に無期懲役を言い渡した。だがこれで解決なのだろうか?日中関係の懸案を消すための政治的判断ではないかという疑念は絶えない。それどころか、呂は真犯人ではないと考えている人も少なくない。
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「証拠不十分なのに政治におもねって司法が判断を下す」となれば大問題のように思われるだろう。いや、確かに日本でこんなことをやれば問題なのは間違いない。だが、中国の社会主義的刑法のロジックに従えば“あり”なのだ。
中国は共産党一党独裁国家ではあるが、その独裁にはルールが存在する。日本とは異なるものであれ、単に権力者の恣意的判断ですべてが決められるわけではない。本稿では毒ギョーザ事件の判決を大罪として中国刑法の独裁のルールを取り上げたい。
■毒ギョーザ事件を振り返る
まず毒ギョーザ事件について簡単に振り返っておこう。2008年1月、中国製冷凍ギョーザを食べた日本人14人が中毒症状を起こした。日本警察は中国メーカー・天洋食品で殺虫剤メタミドホスが混入した可能性が高いと判断したが、中国側はこれを否定。日中間の外交問題となった。
事件発覚から2年が過ぎた2010年3月、中国側は天洋食品従業員、呂月庭の犯行だったとして逮捕したことを発表した。2013年7月に裁判が行われ、今年1月に危険物質投入罪で無期懲役の判決が下された。
だが本当に呂は真犯人なのか。国際問題を解消するため、中国食品の安全性を立証するためのスケープゴートにされたのではとの疑念はかねてより指摘されていた。上述したとおり、当初は中国での混入を強く否定していた中国側が事件の2年後に一転して容疑者を逮捕したこと自体に違和感が残る。
また、呂の逮捕にあたっては冷凍ギョーザに殺虫剤を注入した注射器が重要な物証とされているが、2年間にわたり下水道に放置されていた注射器から水溶性の高いメタミドホスの残留物が検出されたとは信じがたいとの指摘もあった。(註1)
■中国刑事訴訟法の精神:「真実」よりも「社会の安定」が重要
かくして「政治におもねった」疑いが色濃く残る毒ギョーザ事件の判決なのだが、実は政治におもねることは中国の刑事訴訟の精神に反するものではない。
まずは中国の刑事訴訟の目的を見てみよう。中国の刑事訴訟法第1条は以下のように規定している。「刑法の正確な実施を保障し、犯罪を懲罰し、人民を保護し、国家の安全と社会公共安全を保障し、社会主義社会秩序を維持するため憲法を根拠に本法を制定する」。
この条文を日本の刑事訴訟法第1条と比べてみればその特徴がよく分かる。日本の刑事訴訟法第1条は「この法律は、刑事事件につき、公共の福祉の維持と個人の基本的人権の保障とを全うしつつ、事案の真相を明らかにし、刑罰法令を適正且つ迅速に適用することを目的とする」と規定している。
比べてみると明らかだが、中国の刑事訴訟法には「真実の発見」という言葉が使われていないのである。そして日本の刑事訴訟法にはない言葉に「社会秩序の安定」という言葉が使われている。
■民衆を納得させるための刑事訴訟
司法が政治に、国家に奉仕する。なんとも奇異に思われるかもしれないが、実は社会主義国家や共産党の統治の精神に合致している。
多くの民衆が報道などを通じてA氏が犯人だと信じている状況がある。この場合、A氏が処罰されれば多くの民衆は納得する。その結果、社会不安が除去され社会安定に寄与できる。
これこそが中国の刑事訴訟の目的なのである。刑事裁判は罪を裁くことが主眼ではない。民衆を納得させることが目的なのだ。誰が本当に罪を犯したのか、その真実を追求することが主眼ではない。中国の刑事訴訟では「民衆の意識」も量刑決定の材料とされているが、これもまた社会の安定という観点が貫徹していることのあらわれと言える。
つまり毒ギョーザ事件の場合、「呂月庭が本当に犯人なのか」は問題ではない。「報道によって多くの人が犯人と思い込んでいる呂月庭に無期懲役判決を出す」ことこそが中国の刑事訴訟の目的に合致している。
もちろん無罪の者をスケープゴートにすることを奨励しているわけではない。一応、中国の刑事訴訟法第2条には「無罪の者が刑事責任を受けないことを保障する」との規定があり、一見無罪の者に対する保障規定を置いているようにも見える。しかし同法第12条には「人民法院の法による判決を経なければ、いかなる者に対しても有罪を確定することはできない」としており、「単に判決を得ていない状態が無罪である」ことを示している。その意味で「本当に犯罪を行ったのか」と「無罪」が別の概念となっているわけである。
■「推定無罪」は原則ではない、「有罪推定」が許される中国
無論このような状況に満足するかどうかは別問題であり、多くの中国の法学者らは学説で「真実発見」も刑事訴訟の目的であると主張しているが、それはまだ条文化されたものではない(註2)。
問題となるのが有罪推定の問題である。日本などの国々では「疑わしきは罰せず」、推定無罪という言葉がある。つまり「確かに犯罪をしたと確固たる認定を受けてはじめて罰される」のだ。容疑者はまず無罪の推定を受けていることになる。
一方、中国では真逆だ。「疑わしきも罰する」、有罪推定である。中国では「存在する事実を認識できないわけはない」という社会主義唯物論的思考から、事実は必ず認定もしくは推定できるという考えがあった。1980年代以降、中国の法学者らは無罪の推定も唱え始めたがまだ制度的に完全に認められたわけではない。現在も無罪推定を完全に否定する説を展開する法学者もいるくらいである(註3)。
■毒ギョーザ事件判決を批判するならば
数々の疑念が残る毒ギョーザ事件の裁判だが、中国刑事法のロジックには完全に合致している。
立証が不十分に思われるが、有罪推定の立場に立てば不十分な証拠であれ、犯罪事実が推定しうるだけで十分である。それでは真実が解明されないと思われるが、中国の刑事訴訟は真実発見を目的とはしておらず、むしろ犯人と「思われる」呂月庭に無期懲役の判決を下すことで社会が安定すれば役割を果たしたことになる。
日本人の目から見れば不可思議な問題が数多く積み残されている毒ギョーザ事件だが、中国刑事訴訟的に見ればまったく問題はないというわけだ。換言するならば、今回の判決を批判する時、「こんな判決は法的には許されない」と批判をしても意味がない。中国の法では十分に許されているからだ。「こんな判決が出る制度は許されない」と制度自体を批判しなければならないだろう。
■刑事訴訟以外にも広がる中国のロジック
上述してきたような中国刑事訴訟の特徴は他の法律にも貫徹している。刑事訴訟のみならず、中国を理解するためにはおしなべてそのロジックを理解しなければならない。例えば毒ギョーザ事件で中国警察が非協力的だったこともそのあらわれだろう。
中国警察は人民警察法を根拠法としているが、その第1条は人民警察の目的を「国家安全および社会治安の秩序、公民の合法権益の保護のため」と規定している。日本の警察法第1条は「個人の権利と自由を保護し、公共の安全と秩序を維持するため」である。
つまり日本の警察法は「(国籍限定をせず)個人の権利と自由を保護する」ことが目的だが、中国の人民警察は「社会秩序と公民(中国人)の権益の保護」が目的なのだ。
海外で起きた、しかも被害者が外国人の事件となれば、中国警察が仕事するいわれはない。日本のために捜査協力をしたとしても、それは本来の職分を離れた温情といったものでしかないのだ。
註
(1)「中国『毒ギョーザ』奇々怪々」『週刊新潮』(2010年4月8日号)新潮社、28〜35頁。福島香織「中国毒ギョーザ事件“真犯人”呂月庭は『替罪羊』か」『月刊WiLL』(2010年6月号)ワック出版、88〜97頁など。
(2)樊崇義(主編)『刑事訴訟法学』中国政法大学出版社、2009年、41頁など。
(3)小口彦太=田中信行『現代中国法 』成文堂、2004年、161頁。
◆筆者プロフィール:高橋孝治(たかはし・こうじ)
日本文化大学卒業。法政大学大学院・放送大学大学院修了。中国法の魅力に取り憑かれ、都内社労士事務所を退職し渡中。現在、中国政法大学 刑事司法学院 博士課程在学中。特定社会保険労務士有資格者、行政書士有資格者、法律諮詢師、民事執行師。※法律諮詢師(和訳は「法律コンサル士」)、民事執行師は中国政府認定の法律家(試験事務局いわく初の外国人合格とのこと)。『Whenever北京《城市漫歩》北京日文版増刊』にて「理論から見る中国ビジネス法」連載中。
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