中国にはなぜ「お見合いコーナー」があるの?―中国メディア

人民網日本語版    2019年11月1日(金) 1時0分

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子供の結婚相手探しに心を煩わす父母たちが数多く訪れ、にぎわいを見せるのは北京中山公園にあるお見合いコーナー。

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子供の結婚相手探しに心を煩わす父母たちが数多く訪れ、にぎわいを見せるのは北京中山公園にあるお見合いコーナー。ごった返す人々の中に一人の若い女性がいた。「本人である私がここに立っていることがなにより一番の履歴書になると思う」とする彼女は周囲の注目をひと際集め、その場にいた多くの年配の父母たちからあれこれ質問攻めにされていた。その女性は1993年生まれの[王其]さん(仮名)。彼女は投げかけられた質問の一つ一つに丁寧に応え、落ち着いた様子で談笑していた。その様子から彼女がお見合いコーナーに来たのは、今回が初めてではないことが見てとれた。人民網が伝えた。

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中国国家統計局と民政部の統計データによると、2018年の中国全土における婚姻率はわずか7.2‰で、この10年間における最低記録を打ち立てた。お見合いコーナーの「主役たち」はまさにこの世代の人々となる。ここでは、多くの父母がそれぞれのやり方で、息子や娘の「幸福」を勝ち取ろうと力を尽くしている。また、自分自身の「幸福」のために、ここにやって来る当事者の若者もますます増えてきている。このお見合いコーナーはごく普通の中国家庭の世代間コミュニケーションの変遷と自身の幸せを追い求める人々の「縮図」の一つと言っていいかもしれない。

数十年にわたり、若者たちの恋愛・結婚問題は、「プライベートな問題」から、「ごく一般の人々にとっての問題」になっており、その配偶者選びは、「仲人に勧められるがままに」から「自由恋愛」へ、恋愛スタイルは「型通りの単一スタイル」から「バラエティーに富んだ多様なスタイル」へと変化を遂げ、若者世代の恋愛スタイルや結婚観には、日進月歩の変化が生じている。

■伝統的観念を越えたお見合い、お見合いコーナーでもっと幸せに

長年にわたり続いてきたお見合いコーナーは、中国独特の光景と言える。

一番早い時期に登場したお見合いコーナーは、2004年で北京市の龍潭公園だった。それから15年が経過し、こうした個人や家族に依存した交友範囲と人間関係ネットワークを越える交友スタイルは、上海広州深セン鄭州重慶など多くの都市にも広がっていった。

復旦大学社会発展・公共政策学院の沈奕斐准教授は、「恋人と出会う方法として、お見合いは極めて正常なスタイルであり、特別視する必要はない。お見合いコーナーは合理的であり、伝統的な恋愛・結婚観の延長線上にあり、この伝統的な観念が新たな空間に、別の一つのスタイルとして現れたものに過ぎない」との見方を示した。

また沈准教授は、「新中国成立当初、社会における人口の流動性は小さく、人々の交友範囲はかなり狭いものだった。そのため配偶者を選ぶ主な方法は、地域のネットワークや親族・友人を介してということになり、結婚相手の多くは、隣人や同級生、職場の同僚など常日頃接触している人々の中から選んだ。そして両親の意見も非常に重要で、しかも大きな決定権を握っていた。このように当時の若者の交際範囲はかなり閉鎖的で、基本的にプライベートな範囲に限られており、自ら相手を選ぶということもかなり少なかった」とした。

そして、「社会が発展し続けるのにともない、人々の活動範囲も広くなっていき、思想や考え方にも絶えず変化が生じ、恋愛・結婚観も、保守的な傾向から、だんだんと開放的なものに変わっていった。これらの変化はお見合いコーナーによりはっきりと具現化されている。父母は、子供の年齢から学歴、戸籍、収入、仕事などの条件を逐一並べ、最もふさわしい相手を探し求めている。若者の恋愛・結婚問題が、プライベートな問題から、ごく一般の人々にとっての問題へと変化し始めたのだと言える」とした。

さらに、「『お見合いコーナー』という『ダサい』スタイルを受け入れる若者が多くなっているだけでなく、ひいては自らがお見合いコーナーに足を運ぶようにもなっている。実際、子供が親に見合い相手と会うという決定を伝えること自体、若者自身が決めていることを意味している。このように自主性がより強い若者世代は、安定した家庭関係に憧れており、自分の結婚についても、新たな考え方や認識を抱いている」とした。

■仲人から仲介へ、新たな時代に突入した中国のお見合いスタイル

「中国式お見合い」の誕生と新中国成立から70年に及ぶ政治や経済、文化の全面的発展という現実とは、切っても切り離すことはできない

「結婚相手募集!丁乃鈞、男、未婚、40歳、身長170センチ…月給43.5元。興味のある方は近影を添えて連絡下さい」、これは1981年1月8日に人民日報が発行した「市場報」に掲載された結婚相手募集広告で、丁乃鈞さんは中国の新聞で結婚相手募集広告を出した初めての広告主となった。

その1年後、国内初の公営結婚紹介所が時運に乗って誕生した。1982年11月15日、広東省に広州市青年結婚紹介所が正式に設立された。この結婚紹介所は、広州市委員会が企画・設立した結婚相手を探す未婚の若者のための常設サービス機関となった。「中国婦女報」の報道によると、1984年6月までに、同結婚紹介所で出会い、ゴールインしたカップルは1400組を上回り、カップリング率は14.4%に達した。

多くの新聞紙面に結婚相手募集広告や結婚紹介所が登場し始めた当時は、折しも中国の改革開放が重要なターニングポイントを迎えた時期だった。改革開放が人々の家庭や生活にもたらした重大な変化は、「人々が、結婚というプライベートな問題に対してオープンに関心を抱けるようになった」ことだった。昔ながらの仲人による紹介は当時すでに数的に膨れ上がった独身者のニーズを満たしきれなくなっていた。新聞・雑誌の結婚相手募集広告や結婚紹介所の登場は、まさに時代のニーズによるものだったと言えよう。

改革開放がさらに深化するにつれて、現代的なライフスタイルはより多様化し、情報技術の発展もより多くのニューメディアを生み出した。テレビのお見合い番組から婚活サイト、婚活アプリといったこれらの「新たな仲人」を通じて、さまざまな地域やさまざまな性格の人々の中から、結婚相手を幅広く選択できるようになり、お見合いスタイルも新たなブレイクスルーを実現し、お見合いは「新お見合い時代」に突入した。

その露出度や的中率の高さといった優位性から、テレビのお見合い番組は恋愛・結婚スタイルにおいてたちまちその頭角を現し、「非誠勿擾」や「我們約合吧」などのお見合い番組がお茶の間を占拠した。お見合い番組の司会を10年間務めてきた人気司会者の孟非氏は、「テレビのお見合い番組は、実際のお見合いと全く変わらない。お見合いの場がテレビ局のスタジオに移っただけのこと。お見合い番組が登場したことで、若者のパートナー選びに選択肢が一つ増えた」とコメントしている。

しかしテレビのお見合い番組が目に見える関係の広がりとするなら、インターネットの普及は、実際には目にすることができないネットワークだが、男女が知り合って交際に発展するプロセスにおいて、より大きな影響を及ぼしている。2003年、国内婚活サイト大手「世紀佳縁」が開設され、ネット婚活が普通の人々の目にとまるようになった。そして2004年以降には、「百合網」や「珍愛網」などのお見合いサイトが相次ぎ誕生した。

現在、ネットワークを通じて独身男女が出会うスタイルがお見合いの中で高い割合を占めている。9月19日付の「中国青年報」の報道によると、独身の若者1972人を対象とした調査の結果、その78.8%が、「婚活プラットフォームに登録したことがある」という事実が明らかになった。

■「お見合いコーナー」はいずれ無くなってしまう?

現在、若者の結婚式のスタイルは、選択範囲がどんどん拡大している。リゾートウエディングや合同結婚式、電子結婚証明書など、結婚式の儀式としての感覚はますます個性やシンプルさを追求する若者が増えてきており、その流動性や自由さはより高まっている。

恋愛・結婚スタイルは多様化への道を進み続けており、これは人々の恋愛・結婚観の変化を反映しており、時代の発展をより鮮明に表していると言える。現在、長年の努力と積み重ねによって、中国の人々の生活は大幅に改善され、経済力も著しく高まった。人々の精神的なニーズは上昇し続け、感情的な要素がより重視されるようになり、結婚の「質」に重点が置かれるようになっている。

同時に、海外との交流がますます頻繁になり、「一帯一路(the Belt and Road)」政策がより深く人々の心に刻まれ、中国と世界との関係もますます緊密化している。各分野での国際交流も、各国国民の相互理解を大々的に推し進め、国境を越えた恋愛もますます増えている。

中国十九冶集団有限公司で建設者として働く程越さんは、未開の地であるインドネシアのオビ島を仕事で訪れ、スーザンさんという現地女性と知り合った。ニッケル・鉄プロジェクトが進むうちに、2人の若者は恋に落ちた。「一帯一路」が程越さんとスーザンさんという国境を越えた愛を結び付けたと言える。

「一帯一路」によって育まれた「国境を越えた恋愛」というニュースは、決して珍しくはない。「一帯一路」は、国境を越えた恋愛を後押しし、2人の愛の力がまた2カ国の文化的な融合や貿易の往来をいっそう促進している。

「お見合いコーナー」はいずれ無くなってしまうのだろうか?沈准教授はこれについて、「ニーズがある限り、市場は存在し続ける。恋愛・結婚問題に関しては、伴侶探しをしない人はいない。彼らの考え方や姿勢が、積極的であるかどうかに関わっていると思う。相手を積極的に探したいならば、相手に求めるだけでなく、自分もより良く変わっていくように努力しなければならない」とした。

そして、自分自身にある伝統的な観念を打破するように努力し、外的な要因によるコントロールを克服するように努力して、自分に最もふさわしい幸せへの道を探し求める努力が必要とした上で、「若者が自らの幸福を追求してこそ、社会にも活力が生まれる。若者が幸福を手にしてこそ、社会にも調和がもたらされる」とした。幸福への道を手に入れるには、誰もが全力を尽くさなければならないのだ。(提供/人民網日本語版・編集/KM)

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