東日本大震災の被災地宮城県、日本の被災者と苦楽を共にする中国人―中国メディア

Record China    2013年4月17日(水) 7時20分

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16日、人民日報(電子版)は、東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県名取市について報道した。

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2013年4月16日、人民日報(電子版)は、東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県名取市について報道した。

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2年前に発生した東日本大震災は数多くの人の命と財産を奪った。2年後、記者は再び宮城県名取市を訪れた。一面の廃墟は今なお災害のすさまじさと残酷さを人々に思い起こさせる。

災害後の荒れ果てた家の光景はいずれも辛く苦しい物語を宿している。この地で仕事や生活をしていた中国人は、いったいどんな物語を紡いできたのだろうか?日本人の友人の紹介により、名取市で中華料理店を経営する中国人に取材を行った。

唐麗忠(タン・リージョン)さん(51)は1962年、中国吉林省長春市生まれ。父親は中国人、母親は中国残留孤児の日本人。30歳の時に夫、娘と共に日本にやって来た。母親の故郷から程近い仙台で生活を始め、中華料理店を開いた。10年前に仙台から程近い名取市閖上(ゆりあげ)の市場で再び中華料理店を開いた。店の手作り水餃子とキムチが人気となり、地元民がいつも行列を作って水餃子を買いに来た。父親の実家から学んだという水餃子の腕と、豪快でさっぱりとした気質も相まって「閖上水餃子」は市場の看板商品となった。

2011年3月11日に起こった東日本大震災による津波で閖上地区は完全に破壊された。約700人の生命が津波によって失われ、36年の歴史を持つ閖上の市場も休業をあえなくされた。唐さん一家と店員は災害による大きな不幸からは免れたが、災害に対しては日本人と同じく心を痛めた。地震は福島原子力発電所の事故を引き起こし、それに伴うパニックにより、多くの外国人が日本を離れた。しかし、唐さんは日本に居続けることを選択し、家族と共に難局を乗り越えた。

これまで唐さんは何度も被災者に対する募金を行ったり、助けが必要な人に援助を行ってきたりした。また同時に、他の人から多くの助けをもらった。2012年、仮設店舗「閖上さいかい市場」が建てられた。中には、唐さんの中国料理店「豊華」を含め津波の被害にあった店が臨時の仮設店に引越しをしてきて再び営業を始めた。唐さんは店に「名取がんばれ、中日友好」という横断幕を掲げた。

唐さんの大声とかなり強い東北なまりの日本語は、初めて店に来た日本人にとっては聞き慣れないものだ。しかし、彼女の豪快で明るい性格を慕って店にやって来る客は途切れない。メニューの安さに加え、唐さんは店の客に「ちょっとしたサービス」を行っている。例えば、コーヒーやおつまみをサービスしたり、割引をしたりなどだ。常連客の中には、唐さんの親切さや活力に引かれて、友達になる人も多いという。

ある日本の父子は、最初は店に食べに来る単なる客だったが、今では唐さんと非常に仲のいい友人であり、店が忙しいときは、自主的に店を手伝うのだという。

苦しい時にお互いに助け合うことで、壁がなくなり、本当の友情が築かれる。多くの被災者は今なお仮設住宅の家に住んで、大変な日々を送っているが、友情と真心が多くの人の生活に勇気と希望を与えている。(提供/人民網日本語版・翻訳/MZ・編集/内山)

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