<コラム>韓国で有名な「金持ち崔さんの家」とは

木口 政樹    2019年3月11日(月) 23時30分

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北核問題はちょっとおいておいて今回はお金持ちの話を書いてみたい。妻のふるさと慶州にチェ・ブジャチプというのがある。チェは「崔」で名字である。ブジャは「富者」、チプは「家」ということで、「金持ち崔さんの家」というくらいの意味である。写真は慶州。

2月28日の米朝首脳会談決裂以来、北朝鮮のミサイル基地が再稼動しているという情報もあったりして、やや物騒な時期になっている。トランプも失望という表現は使っているものの、まだ決定的な敵対までにはいっていない。

北核問題はちょっとおいておいて今回はお金持ちの話を書いてみたい。わが妻のふるさとギョンジュ(慶州)にチェ・ブジャチプというのがある。チェは「崔」で名字である。ブジャは「富者」、チプは「家」ということで、「金持ち崔さんの家」というくらいの意味である。チェ・ブジャチプは妻の家から歩いて20分ほどの距離にあり、去年の暮れに帰省がてら家族連れで行ってみた。現在は記念館のようになっていて、ソウルからわざわざ来たという団体の人たちも見学していた。

チェ・ブジャチプということばは、テレビやドラマになったりしていてギョンジュだけでなく韓国全体でよく知られていることばである。最近は観光客が訪れることも多くなっているようだ。金持ちは3代つづくのが難しいとはよく言われるが、このチェ・ブジャチプは12代、400年にわたりつづいた家柄である。第1代の崔震立(1568~1636)から第12代の崔浚(1884~1970)までを指している。日本でいえば織田信長の時代から昭和45年くらいまでつづいたということであるから、やはり長くつづいたものだと思う。

しかもここで重要なことは、単なる金持ちの家柄がつづいたということではなくて、チェ・ブジャチプの家訓にみられるその在り方である。家訓によく現れている。

家訓は六項目からなっている。

一.科挙試験に合格しても進士以上にはなるな。

二.財産は一万石(ごく)以上は貯めてはならない。

三.旅の客が来たら、手厚くおもてなしをせよ。

四.凶年には他人の土地を買い入れしてはならない。

五.嫁いできたお嫁さんは、三年間は木綿の着物を着よ。

六.四方百里以内に、飢える者のなきようにせよ。

一番の家訓から見てみよう。科挙に合格しても「進士」以上にはなるなというのは、簡単に言えば政治抗争に加わるようなことをしてはならないということである。科挙のうちわけとして大きくは、政治、儒学、文学と三つのレベルに分けられるようであるが、「進士」というのは政治、儒学ではなく「文学」の面で仕事をするカテゴリのようだ。つまり出世欲におぼれて党派党争を繰り返し血で血を洗うようなことはするな、ということである。

二番目の家訓はすぐおわかりになるだろうと思う。昔のコメの単位は石(ごく)である。韓国も同じ。上杉一五万石ということは米沢市民のみなさんにはおなじみの単語。財産を貯める気になれば、二万石、三万石と貯められるが、金の欲におぼれて財だけ貯めるようなことをしてはならない、という教えである。

三番目の家訓は、通りすぎる旅の客が来たら、ご飯をあげ寝るところを提供し、手厚いおもてなしをせよ、ということである。お金をとって泊めるのではない。ただ泊めてあげご飯を提供するのである。このような旅人が、一日平均80人から90人ほど、一年365日を通してずっといたそうである。彼らがふるさとへ帰りチェ・ブジャチプの話をすることになるわけだから、そのありがたさは全国津々浦々に広まることになった。

四番目の家訓は、凶年のときというのは、自分の田や畑を売ってでも食べ物を得たいと考えるお百姓さんが多い。食べるものがないのだから。金持ちがこんなときに買い取る気になれば、普通よりはずっと安く田畑を買うことができる。しかしそういう悪どいやり方で土地を増やしてはならないという教えである。

五番目の家訓は、お嫁さんとしてチェさんの家に嫁いできた女性は、三年間は木綿のきもので過ごしなさいということ。つまり絹のきものは遠慮して三年間は木綿のきものの生活をして、きらびやかな生活習慣より地味でつつましい生活習慣を身につけよということであろう。米沢の名君・上杉鷹山(ようざん)が木綿の着物で過ごしたというのと一脈通じる部分である。

六番目の家訓は、チェさんの家を中心に四方百里(だいたい4キロぐらい)以内にいる人たちが飢えで苦しむことの無きようにせよという教え。隣近所の人たちを手厚く遇しなさいということである。食べ物のない人がいれば十分に差し与えよということである。このような富者が近くにいたら、どれほど心強いことであろうか。

ちなみにこのチェ・ブジャチプの子孫らは、今も「富者」としての生活を送っているのであろうか。それは否である。第12代の崔浚が、戦争明けの1947年に財産の大部分をヨンナム大学に寄贈したからである。13代(今85歳ぐらいか)からは普通の人として生活しておられる。14代(今55歳ぐらいか)の崔さんは裁判官である。

13代の崔ヨムさんに、ある新聞記者が質問した。どんな車に乗ってらっしゃいますか?答えは「BMWに乗っているよ」というものだった。やっぱりなあと思ったら、「BMWのBはバス(Bus)、Mは地下鉄(Metro、メトロ)、Wはウォーキング(Walk、歩く)だよ」といって大きくハッハッハと笑われたそうだ。ユーモア感覚も第一級のブジャ(富者)である。

■筆者プロフィール:木口 政樹

イザベラ・バードが理想郷と呼んだ山形県・米沢市出身。1988年渡韓し慶州の女性と結婚。元三星(サムスン)人力開発院日本語科教授、元白石大学校教授。趣味はサッカーボールのリフティング、クラシックギター、山歩きなど。著書に『おしょうしな韓国』、『アンニョンお隣さん』など。まぐまぐ大賞2016でコラム部門4位に選ばれた。

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