<コラム>世界の「築地」がついに幕、訪日客は「豊洲」へ行くだろうか

秋澤 文芳    2018年10月11日(木) 23時20分

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ついに、あの「築地」が83年の長い歴史に幕を閉じた。私にとっても感無量である。そして、新しい豊洲市場は11日のオープン。実は、私自身も30年という長い年月にわたりこの日を待っていた。写真は筆者提供。

ついに、あの「築地」が83年の長い歴史に幕を閉じた。私にとっても感無量である。上京した直後から、この築地・晴海地区には何かと仕事・業務の関係で大変にお世話になった。羽田から海外旅行へ出発する際も必ずと言っていいほど、この晴海地区には前泊もした関係もあり、その当時から必ず「築地」には何かと注目をしてきた。

その幕を閉じた10月6日の最終日に築地を訪れた。当日は予想通り築地の場内も場外も大混雑であった。多くの人々が83年という長い年月を振り返りながら、最後の日を見送った。その日は場内ばかりか、人の波は場外へも広がり、周辺の各通りも店舗内にも訪日客を含む観光客が列をつくるように大勢押し寄せていた。築地に短期間しか接してない方々にとっても、終焉(しゅうえん)のその日はあまりにも寂しい最終章であったに違いない。

幕を閉じた2日後の8日にも築地場内と場外に行ってみた。祭日にも関わらず、場内の閉鎖と場外でも多くの店がシャッターを閉じていたこともあり、やはり人の波は「ゼロ」であった。あまりに寂しい光景であった。

もはや築地で働いていた人々は新しい豊洲へと一斉に移動中であり、その準備に追われていた。メディアでも繰り返し放映されていたとおり、あの名物のターレで荷物を運びながらの大移動の最中であった。

当日、祝日にもかかわらず訪日客を含む観光客は全くというほど、場外では姿をみることもなかった。アジアからも列を組んで訪れていた訪日客はどこへ行ってしまったのだろうか。一瞬ではあるが、「このまま築地の場外市場には訪日客は足を運ぶことはないのか」との思いが頭をよぎった。

そして、新しい豊洲市場は11日のオープン。実は、私自身も30年という長い年月にわたりこの日を待っていた。30年前に豊洲にやって来た当時は、石川島播磨の「生協」しかスーパー・店がなかったことを覚えている。生活する上での不便さを強く感じていた。

その豊洲に新しい「市場」がやって来たわけである。これからは首都圏から、そして全国から、さらに海外からの「訪日客」もやって来るはずである。しかし一抹の不安を感じる時もある。近代的で、そして清潔さと効率の良さを感じる豊洲であるが、「交通」、「ハコモノ」、「市場の雰囲気」などを訪日客がどう感じるかだ。

今や「買い物」よりもインスタ映えなどに多くの観光客が感心を寄せる時代になってきている。建物のカッコよさはもちろんであるが、見栄え、雰囲気、街での応対や地元の人々との触れ合いなども訪日客にとっては重要な要素となる。今後はそのような「課題」も克服しながら、是非ともあらたな豊洲の「未来」に向けて知恵を出し合ってほしいものだ。11日からはまた再び、あの活気溢れる「市場」を見てみたい、期待したい。

■筆者プロフィール:秋澤 文芳

東京(豊洲)在住。日本旅行業協会を経て2010年より北京第二外国語学院大学旅游科学学院研究生として現在も在籍。東京都日中友好協会副理事長・経済ビジネス委員会委員長。日中観光文化研究所、観光文化ツーリズム等の代表として旅游・訪日インバウンドやコンサル業務に取組む。

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