日清戦争から100年で中国に抜き返された日本、再度の「逆転」はもはや不可能―中国メディア

Record China    2012年8月14日(火) 5時38分

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11日、中国国営新華社通信(電子版)は、この100年余りの間に中国と日本は2度の「立場逆転」を体験したと論じた。写真は中国の海洋監視船。

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2012年8月11日、中国国営新華社通信(電子版)は、この100年余りの間に中国と日本は2度の「立場逆転」を体験したと論じた。以下はその内容。

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中国と日本はこの100年余りで2度の「立場逆転」を体験した。1度目は日本が当時の大国、清を破った1894年の日清戦争。2度目は中国が国内総生産(GDP)で日本を追い抜いた2010年である。では、この2度にわたる逆転劇にはそれぞれ、どんな意義や背景があったのだろうか?

まず、そのやり方からみてみよう。1度目の「逆転」は武力に訴えたものだった。日本は突然、戦争を仕掛け、正義に反するやり方で中国を打ち負かした。だが、2度目に中国が日本を抜き返したのは、1978年の改革開放からコツコツと努力を続けてきた中国自身の発展によるものだ。

時代背景も異なる。1度目は新旧の帝国主義国家が世界全域で激しい植民地争いを展開していた。明治維新を経て強くなり始めた日本も、朝鮮半島を足掛かりに中国に侵入。当時は弱肉強食が当たり前の時代だった。だが、今は経済のグローバル化が進み、各国が平和を求め、ウィンウィンを目指す時代に。特に近年は新興国と発展途上国が台頭、西側が単独で主導権を握る時代は終わった。

「逆転」のその後も正反対だ。日清戦争後、日本は徐々に軍国主義の色合いを強めていった。太平洋戦争を引き起こし、アジア各国の人々に多大な苦しみを与え、自ら滅亡への道をたどったのである。だが、2度目の勝者である中国は世界平和を強く願っている。この「逆転」は1度目とは対照的にアジアのみならず国際社会にも明るい未来をもたらすものとなった。

意義の違いにも注目したい。最初の「逆転」は中国の民衆、特に知識層に大きな衝撃を与え、「戊戌の変法」、日本留学ブーム、「興中会」を代表とする多くの革命団体を生んだ。いわば、民族復興への第1歩といえる。中国はこのどん底から這い上がり、50年後には日本軍国主義を倒すという勝利を収めるのである。だが、今の日本は現状を見る限り、再び経済が大きく成長するとは思えない。「失われた20年」がなかったとしても、ここからまた中国を追い抜くことは不可能だろう。

ここ数年、日本では中国との関係に対する焦燥感が渦巻いているようだ。それを反映するかのように、河村たかし名古屋市長の「南京事件はなかった」発言や世界ウイグル会議の開催、石原慎太郎都知事の尖閣諸島購入計画など、一部の政治家が中国の神経を逆なでするような挑発行為を繰り返している。国交正常化40周年という節目の年に、日本側は目障りな行動ばかり起こしている。だが、われわれはこうした焦りやイライラに付き合う必要はない。大国らしい姿勢を崩さず、長い目で両国関係の発展を見守っていこうではないか。(翻訳・編集/NN)

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