Record China 2018年6月14日(木) 0時20分
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北京市北京市海淀区の工事現場で見つかった石像4点が、鑑定作業の結果、1856年のアロー戦争で英仏連合軍に破壊された円明園から流失したものと断定され、12日に円明園に戻された。
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中国メディアの中国新聞社は、北京市北京市海淀区の工事現場で見つかった石像4点が鑑定作業の結果、1856年のアロー戦争で英仏連合軍に破壊された円明園から流失したものと断定され、12日に円明園に戻されたと報じた。
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石像は龍または龍に似ているが角はない想像上の動物であるチー(虫へんに「離」のへん部分)を表したもの。高さは90~100センチ程度。2017年2月に海淀区清河街道地区の工事現場で掘り出された。同地区の文化歴史顧問の杜沢寧(ドゥー・ザーニン)氏が出土の様子を目撃し、保管の手続きをした。
石像には「漢白玉」と呼ばれる非常に高価な石材が使われていた。杜氏が調べたところ、出土場所の近くには、石像が置かれていた可能性のある橋や建物は存在しなかったことが分かった。杜氏は最近になってから、像は2、3キロメートルの距離にある円明園から流出したものであると考えるようになった。
円明園は、清の第5代皇帝の雍正帝(1722~35年)が造成した離宮。当時は清朝の全盛期で、同園内は西洋人が設計した西洋風の建物や噴水などもある壮麗な建築群だった。しかし、1856年に勃発したアロー戦争で英仏軍が北京に侵攻した際、フランス軍が貴重品を略奪し、さらに英国軍が「捕虜虐待・虐殺への報復」として建物などを徹底的に破壊した。その後は中国人が園内に残っていた石像などを持ち出して、売りさばいた例もあったとされる。
円明園は長期にわたって廃墟のままだったが、1984年に再整備が始まり、現在は一部が公開されている。
最近になり円明園側が石像を鑑定し、同園から流失したものと断定した。円明園は流出した文化財の回収作業を続けており、これまでに40点余りを園に「帰宅」させたという。(翻訳・編集/如月隼人)
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