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21日、北朝鮮の金正日総書記の死亡を受け、香港アジアテレビの劉瀾昌副総裁は「金正日逝去、北朝鮮は改革の契機」と題した記事を中国のブログサイトに掲載した。写真は中朝国境を流れる「鴨緑江」。
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2011年12月21日、北朝鮮の金正日(キム・ジョンイル)総書記の死亡を受け、香港アジアテレビの劉瀾昌(リウ・ランチャン)副総裁は「金正日逝去、北朝鮮は改革の契機」と題した記事を中国のブログサイト・鳳凰博報に掲載した。以下はその内容。
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金総書記の突然の死去を受け、日韓が警戒を強めているが、実は本当に警戒が必要なのは北朝鮮の方だ。内乱はもとより、米国の奇襲も防がなければならない。毛沢東が亡くなった時も中国人民解放軍は最高の警戒態勢を敷き、突発事件の発生に備えた。
だが、毛沢東の死去が中国に改革開放の契機をもたらしたことは歴史が証明している。そして今、中国政府は口には出さないものの、心の中では「金正日の死は悪いことではなく、良いこと」だと思っているに違いない。
北京のブレーンたちは北朝鮮問題に対し、誰もが「その日」を待つしかないという見解を持っていたことは事実だ。「その日」とは「金正日の死去」のことである。体調が良くないことはもはや公然の秘密だった。
ところが、2008年に金総書記が脳卒中で倒れた時、救命を任されたのはフランスの医者だった。「血で固めた友誼」で結ばれた中国の医者ではなかったのである。こうした小さな例からみても、中国の現政権と金正日政権との間に矛盾が生じていたことが分かる。
事実、両者は政治、外交、経済、軍事の各分野で深刻な隔たりを抱えていた。最大の懸案は核問題。金総書記は中国の支援をつなぎとめるため、6カ国協議への参加にも同意したが、実際は単なる引き伸ばし作戦を展開していただけ。結局、2回の地下核実験が行われた。
考え方の違いも大きかった。金総書記は何度も訪中し、中国の改革開放の成果をたたえたが、心の中では「資本主義に向かっている」とあしらっていた。一方の中国側は「ほんの少し開放するだけで経済はかなり上向くはず。餓死者を出すこともなくなるのに」と見ていた。
正恩(ジョンウン)氏への世襲もマルクス主義や歴史の流れに反するため、中国は認めたくなかった。だが、北朝鮮を混乱化させないためには、この80年代生まれの若者に懸けるしかない。中国は現実問題を最優先して、正恩氏を後継者として認める弔文を出した。
正恩氏は「ミサイルより食糧が重要」だと強調したことがある。中国はこれを父の金総書記とは全く違う新しい思想だと受け止めている。北朝鮮の現状からすれば、何はともあれ改革の必要性に迫られていることは確かだろう。あとは中国がこの機会をどう生かすか、影響力をどう発揮するかにかかっている。(翻訳・編集/NN)
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