Record China 2018年2月24日(土) 21時40分
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22日、中国メディアの北京時間は、「病魔と闘いながら五輪金メダリストに、羽生結弦は努力で世界を征服」と題する記事を掲載した。写真は羽生。
2018年2月22日、中国メディアの北京時間は、「病魔と闘いながら五輪金メダリストに、羽生結弦は努力で世界を征服」と題する記事を掲載した。
羽生は1994年12月7日、宮城県仙台市泉区で生まれた。記事は「羽生は2歳の時に小児ぜんそくと診断され、それを克服するために4歳でスケートを始めた。ぜんそくと戦いながらフィギュアスケートに取り組む日々が続いた15歳の年、同じくぜんそくを抱えながら五輪で金メダルを獲得したスピードスケートの清水宏保さんに出会った。清水さんの励ましは、たとえ体が他の人より弱くても世界の大舞台でトップに立てるという信念を抱かせた」と紹介した。
一方で、「現実は理想のようにうまくはいかなかった」とし、「激しい呼吸に肺が耐えられなかったため、デビューしてほどなく体力と持久力のなさが指摘されるように。それらを高めるために薬や鍼治療などさまざまな試行錯誤を始め、その結果、羽生の体力は大幅に向上した」と、その過程を伝えた。
続けて「体力を手に入れた羽生に、さらなる試練が襲いかかる」とし、2011年3月の東日本大震災に言及。震災では羽生の仙台の自宅と練習場が被災。羽生はこの年の夏に60回のチャリティー公演などに参加し、このことが結果的に練習環境を確保することにもつながった。その時のことを本人は「毎回が本番なので全力でやらなければならない。それが自分の新しいトレーニング方法になった」と語っている。
記事は「その後も羽生はさまざまなことに苦しめられた。しかしこのような困難も、羽生の手から金メダルを奪うことはできない。なぜなら彼はスケートに命を燃やし、命をかけて滑っているからである」とした。
また、羽生が「自分は誰よりも弱く、非常に孤独」と感じていたことや、14年11月に「去年と同じ自分では嫌だ。今年は自分に勝ちたい」と語っていたことに触れた上で、「平昌五輪の後、彼はまたどんな新しい羽生結弦を見せてくれるのだろうか。いずれにせよ、彼が今手に入れた成功は、満場のスタンディングオベーションに値するものだ」と結んでいる。(翻訳・編集/川尻)
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2018/2/21
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