出稼ぎ人が雑居する宋慶齢の旧居―上海市

Record China    2006年12月17日(日) 7時8分

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孫文夫人として知られる宋慶齢が住んだという屋敷は、今や地方から出てきた出稼ぎ人たちの住まいとなっている。修理もされないまま、ぼろぼろになった建物の中で、40人ほどが暮らしているそうだ。

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2006年12月12日、上海市の桃江路45号にある宋慶齢(そうけいれい)の旧居は、長年修繕を加えないため、建物内は湿気のためかびている。床や、木製のドア、窓など、すべてがぼろぼろになってしまった。

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ドアのすき間から中を覗くと、室内は勝手に区切られ、出稼ぎ労働者の宿舎になっているのが見える。近所に住む「徐房建築」という文字がついた作業着を着た人が言うには、ここに住む出稼ぎ人は40人にもなるという。晴れた日には、建物の周りに彼らの衣類やふとんが日に干されているのが見られるそうだ。

孫文夫人として知られる宋慶齢は、抗日戦争に勝利した後の1945年11月8日、戦争中第2の首都であった重慶(じゅうけい)市から上海に帰るときにここに泊まったそうだ。それは1949年の春まで続けられたという。解放戦争の頃、宋慶齢は多くの重大な活動をここで行い、革命活動をもここで展開した。共産党指導者の人民解放戦争を支持するため、宋慶齢はここで多くの医療器具や薬、そしてその他の物資を募り、解放区を支援した。宋慶齢が交わした書簡のうち、ここをあて先とした郵便物が大量にあった。ここは元の名前を靖江(ジンジエン)路といった。淮海中(ホアイハイジョン)路に引っ越した後でも、宋慶齢はここに国内外の友人をよく招いていたそうだ。

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