<点描・北京五輪>朝倉浩之の眼・回憶 北京五輪(6)“劉翔離れ”へ

Record China    2008年9月2日(火) 8時11分

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比較的、冷静に劉翔の棄権を受け入れた一般の市民に対し、最も焦ったのは、劉翔を広告に起用している各企業、そして劉翔の試合を当て込んで競技チケットを購入した人たちだろう。写真は8月27日、上海に戻る劉翔と孫海平コーチ。

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比較的、冷静に劉翔の棄権を受け入れた一般の市民に対し、最も焦ったのは、劉翔を広告に起用している各企業、そして劉翔の試合を当て込んで競技チケットを購入した人たちだろう。

一説には、劉翔の出場する「予定」だった男子110m障害決勝のチケットは400元の2階席が20倍の8000元(12万円)まで高騰していたということだ。場合によっては、50倍以上に上がっているという話もあったから、その加熱ぶりは相当なものだ。

私が110m障害の2回戦に足を運んだとき、ある老人に出会った。彼は600元(9000円)のチケットを競技場近くにたむろするダフ屋から6000元(80000円)で購入したそうだ。劉翔の棄権を知った瞬間に、急いで売り払おうと、新たな「ダフ屋」を探したものの、いずれもその情報はとっくに察知済み。高くても2000元(30000円)といわれたので、それなら…と劉翔のいない鳥の巣にやってきたそうだ。残念そうな表情で、チケットの経緯を語っていたが、それでも、この日は走り高跳びで世界記録が登場するなど、なかなかの見せ場があり、このお年よりも、“それなりに”楽しんだようだ。

また20社あまりに上る劉翔のスポンサー企業は、この予想だにしなかった結果に戸惑いを隠せなかった。牛乳メーカーで、五輪オフィシャルスポンサーでもある「伊利」の広報担当者は「金メダルを取ったときの対応、取れなかったときの対応、いずれも想定していた。だがまさか“棄権”とは…」と唇を噛む。ある大手国際企業は、早くも看板のキャラクターを変更するなどの措置をとったとの情報もあるが、今のところ、各社とも「劉翔とは長い付き合い。復活に向けて、応援していく」として、様子見する姿勢を示している。ただ、以前は嫌というほど目にした劉翔のテレビコマーシャルは、五輪後、全く目にしなくなるなど、スポンサーの“劉翔離れ”は着実に進んでいるといえよう。実際、北京五輪では51人の金メダリストが誕生しており、現時点では、「敵前逃亡」した劉翔よりも商品価値が高いともいえ、各社とも見極めムードといったところではないか。

ただ最も大きな痛手をうけたのは、やはり中国陸上界だろう。

国家体育総局の責任者は今回の五輪について、「確かに金メダル数1位は大躍進。だが、陸上、水泳など競争の激烈な競技ではまだまだ中国は発展途上国。引き続き努力を続けていかなければならない」と語った。

今回の北京五輪に向け、中国は二つの施策をとった。一つは、アテネで好成績を取ってメダル獲得が有望視される選手の更なる強化。そしてもう一つは、他国が余り力をいれていない、いわゆるマイナー競技の徹底強化である。

後者については、今大会からというわけではなく、かなり以前からのスポーツ施策ではあったのだが、今回は予算投入の度合いも含めて、これが徹底された。結果的に、多くの種目で強化が実り、金メダルを量産できたわけだ。

一方、前者については、「チーム劉翔」まで作って、莫大な予算を投入して臨んだにもかかわらず、周知の結果となってしまった。これだけ110m障害に対する国民の期待が高まったにも関わらず、史東鵬が準決勝敗退するなど、決勝進出はゼロ。しかも、この二人の後を追う若手は登場していない。

これについて、ある体育関係者は「劉翔に頼りすぎた陸上連盟の失態」と断じる。この「チーム劉翔」の結果、本来ならば、アテネ後に次々と劉翔の後を追って、陸上短距離の門を叩く若者が生まれ、裾野が広がっていくはずだったにもかかわらず「ポスト劉翔が全く育っておらず、ヒーローが生まれた意味がなくなった(同関係者)」という結果を生んだのだ。この現象は、陸上だけでなく、他の多くの競技でも見られ、「金メダル獲得」のために、「北京後」をにらんだ育成をしっかりしてこなかった中国スポーツ界は今後、大きなツケをかぶることになるだろう。

中国陸上界は今後、「劉翔に頼らない」選手育成を進めていくことを暗に示している。いわば「劉翔離れ」が五輪後、ようやく始まったというわけだ。劉翔の専属コーチは、すでに110m障害の“秘蔵っ子”(17歳)を見つけており、次のロンドンは無理でも、2016年を目指して、育成を続けている。

経験がモノを言う障害競技だから、劉翔は十分ロンドンも狙えるし、本人も早くも気持ちを切り替えて、4年後に向けてスタートを切っている。だが、「新王者」デイロン・ロブレス(キューバ)の成長振りを見ていると、劉翔の復活は非常に厳しいのが現実。そこにまた、劇的な「劉翔・復活劇」が生まれることは期待してもいいのだが、そんな浪花節のストーリーに一国のスポーツ政策を託すわけには行かないのは当然だ。「ポスト劉翔」が急速に進んでいくのは間違いないだろう。

もし仮に…劉翔が金メダルをとっていたら、今頃、「チーム劉翔」は祝杯を挙げ、北京への4年間が全面的に肯定されて終わっていただろう。今回、陸上関係者が深刻に陸上の現状を受け止めていることは、中国陸上、いや中国スポーツ全体が変わる前兆とも受け取れる。

劉翔の棄権は、考えようによっては、中国スポーツを改革する大きなきっかけになるかもしれない…とも言えるかもしれない。

<注:この文章は筆者の承諾を得て個人ブログから転載したものです>

■筆者プロフィール:朝倉浩之

奈良県出身。同志社大学卒業後、民放テレビ局に入社。スポーツをメインにキャスター、ディレクターとしてスポーツ・ニュース・ドキュメンタリー等の制作・取材に関わる。現在は中国にわたり、中国スポーツの取材、執筆を行いつつ、北京の「今」をレポートする中国国際放送などの各種ラジオ番組などにも出演している。

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