日本のあれの前では、中国はまだまだ幼稚過ぎる―中国コラム

Record China    2017年11月9日(木) 21時20分

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中国のポータルサイト・網易は4日、「日本のデザインの前では、中国はまだまだ幼稚過ぎる」と題したコラムを掲載。同コラムはデザインに携わる中国人が日本を視察した際に感じたことがつづられている。写真は日本の工芸品。

中国のポータルサイト・網易は4日、「日本のデザインの前では、中国はまだまだ幼稚過ぎる」と題したコラムを掲載。同コラムはデザインに携わる中国人が日本を視察した際に感じたことがつづられている。以下はその概要。

日本人と中国人は互いに良い印象を抱いていないが、相手の長所を無視してはいけない。私が東京で視察した際、日本人のデザインにおける細かさ、日常生活の問題解決における考えや態度は、中国人が自身の生活品質を向上させるうえで良い参考となると感じた。

日本人は「粗末」を嫌う。粗末に慣れてしまうことは精緻を追い求める能力を失ったことを意味する。精緻を追い求める日本人の日常生活からは粗末を排除したきめ細かい計算が確認できる。赤ちゃんがおしっこすると色が変わり親に知らせるデザイン、手に持った際にフィットするように設計されたコップ、部屋の計算された照明の配置など、至る所に日本人の細やかさが映し出されている。

日本の照明デザイナーからすると、中国の公共施設や富裕層の豪邸の照明は建物と照明が融合しておらず、多くのむだが存在するという。私が交流した日本人デザイナーは皆華やかさを追求していなかった。日本人が精緻を追い求めることに対して、「日本は資源が少ないため細かい計算が必要」との意見もあるが、日本人は少ない資源で中国よりも高品質な生活を実現している。実際のところ、中国も資源があふれているというわけではない。それでも、今の中国では多くの資源を消費した建築や劣悪な商品が次々に生み出されている。こうしたものは中国人により豊かで快適な生活を与えることはできない。

日本人の「最小限のものを使い最も簡単な方法で人の心に残る美しさ作り出す」との考えは古くから存在する。無印良品はこの考えを継承しているように感じる。無印良品のデザインは学生から年配者まで幅広い人が使うことができ、商品が個性を主張することはない。デザインとは本来、消費者の日常的な問題を解決するサポート的な存在であるべきと考える。

中国のデザイナーの多くは、芸術的観点から奇抜なものを生み出し、日常生活とはかけ離れている。こうしたものは消費者の生活を助ける能力がなく、消費者も求めるものを見つけることは難しい。一方、日本のデザイナーは、外見の良さよりも使いやすさを重視している。そのため、日本人は計算しつくされた精巧なものを手にすることができるのだ。

現在の中国には、デザインし直すべき点が数多くある。見た目は良いが日常生活を豊かにできないデザインでは、浮ついた雰囲気が漂ってしまう。高品質な暮らしには多くの富が前提という考え方は間違っている。こうした考えは中国人がより高品質な生活を手に入れる障害となる。暮らしは平凡が積み重なってできるものであり、そうした平凡の中に幸せは存在しているのだ。(翻訳・編集/内山)

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