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中国語はわからないだろうと日本を悪く言い続けた医者、本当はすべてわかっていた日本人の先生―中国人学生

日本僑報社    2016年3月25日(金) 6時50分

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中国人の中には、過去の歴史から日本や日本人を快く思わない人が大勢いる。自身もそのうちの一人だったという嶺南師範学院の張戈裕さんは、そうした考えを変えてくれた日本人の先生との出会いについてつづっている。写真は医師。

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中国人の中には、過去の歴史から日本や日本人を快く思わない人が大勢いる。自身もそのうちの一人だったという嶺南師範学院の張戈裕さんは、そうした反日的な考えを変えてくれた日本人の先生との出会いについて、次のように作文につづっている。

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私の曽祖父は日中戦争で亡くなった。多くの中国の家庭と同じように、日本に対する恨みは、家訓の如く血にまじり、 肉に入り、骨髄に達している。私も生まれてから何の疑いもなく、この恨みを受け継いできた。しかし、運命は不可抗力のものである。大学入試の点数が足りないので、志望した学部に入れず、日本語科に入ることになった。この結果は家族の人々にとって爆弾のようだった。議論の後、とりあえず入学して、チャンスがあればほかの学部に転入せよ、ということになった。

こんな中途半端な気持ちで、私は大学に入った。日本に対する抵抗があったので、日本語の勉強はうまくいかず、成績が悪かった。生活費は自分でアルバイトして負担しないとならず、あちこち走り回り、落ち着く暇もなかった。他学部への転入も簡単ではない。心配事が山ほどあって、退学さえ考えた。

私は学校付近のカレー屋でバイトをしていた。休日のため、お客さんが多くて、朝から夕方まで働き通しだった。貧血症に寝不足のせいか、夕方、急に気を失った。折よく店で食事していた矢野先生が見つけてくれた。矢野先生は日本語科の先生だが、授業以外の時間で会話することがなかった。

数日後、矢野先生はいきなり「よかったら私の中国語の先生になってくれませんか」と話してくれた。断るわけにはいかないので、一応引き受けた。しかし先生の中国語のレベルは尋常ではなかった。普通に中国語で会話ができていた。先生に中国語を教えるというより、雑談をするだけのバイトだった。先生からもいろいろ教えてもらって、かえって私の方が勉強になった。先生のおかげで、私は少しずつ日本という国を理解できるようになり、日本語に対する興味も次第に湧いてきた。

先生がこのバイトの話をしてくれたことには、心の底から感謝している。先生の存在が光のように、私の暗い道を照らしてくれた。しかし、私はまだ日本が好きだということを認める勇気がなかった。日本が好きだというのは家訓に反することだった。特に、私のような家庭では。

ある日、矢野先生の手に湿疹ができたので、私たちは先生と一緒に病院に行った。矢野先生が日本人だと分かると、優しかったお医者さんが一瞬にして冷たい表情に変わった。そのお医者さんは、矢野先生は中国語が分からないと思ったせいか、私たちに向かって思うがままに日本と日本人を批判し始めた。矢野先生にはすべて理解できていたが、ずっと黙って何も言わなかった。私は泣きたくなった。確かに過去に戦争があった。中国の人々が多くの被害を受けた。しかし矢野先生には何も悪い所はない。戦争があったからすべての日本人が悪いという思考回路がおかしい。私はそのお医者さんが恨めしかった。しかし同時に、以前の私もこのお医者さんと同じだったことに気付いた。

冬休みになって実家に帰った。両親から他学部への転入の話をされたので、矢野先生のことを話した。父と母は何も言わなかった。反対の声は二度と出てこなかった。私の先生はすごい。彼一人で私の家の「日本を憎む」という歴史を変えたのだから。(編集/北田

※本文は、第十一回中国人の日本語作文コンクール受賞作品集「なんでそうなるの?中国の若者は日本のココが理解できない」(段躍中編、日本僑報社、2015年)より、張戈裕さん(嶺南師範学院)の作品「私の先生はすごい」を編集したものです。文中の表現は基本的に原文のまま記載しています。なお、作文は日本僑報社の許可を得て掲載しています。

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